バンドギャップ,あるいは,バンドエンジニアリング,という言葉は,近年の技術開発において,より重要性を増してきている。そこには,二つの社会的トレンドが存在すると考えられる。まず,情報通信技術(IT技術,ICT技術)の発展である。Fiber-to-the-home(FTTH)といわれる光ファイバーの一般家庭への敷設やLong-term-evolution(LTE)といわれる次世代大容量無線通信をはじめとする通信の大容量化,あるいは,光ディスクなどの記憶装置や記憶媒体の大容量化等によって,高精細な画像情報が身近なものとなり、それを表示するための画像端末の高性能化が大きな技術開発要素となった。これが引き金となり,液晶パネルをはじめとする画像表示装置やスマートフォンなどの画像端末などの電子機器が日進月歩の勢いで発展している。後に述べるとおり,画像関連機器は,まさに,バンドエンジニアリングの大きな活躍場所の一つとなっている。その一方で,化石燃料の枯渇,地球環境の変動という人類存亡に関わる問題が顕在化してきたことによって,再生可能エネルギー,特に,化石燃料を用いない発電に注目が集まっている。その旗手ともいえるものに太陽光利用技術がある。先の画像表示と同様,この太陽光利用技術もまた,バンドエンジニアリングの活躍場所の一つとなっている。こうした背景を受け,バンドエンジニアリングに関する基礎科学的な知見,さらに,そのバンドエンジニアリングを応用した様々な技術を紹介することを目的として,本書は編纂されている。
本書の前半部分は,バンドエンジニアリングに関係する基礎的な事柄をおさらいすることを目的に構成されている。すなわち,バンドエンジニアリングという言葉から最初に想起される,いわゆる半導体の基礎からスタートしている。特に,第Ⅰ編第2章から第4章(黒田先生,大友先生,大場先生)において,バンド理論や電子論に基づく半導体の基礎を示す。バンドエンジニアリングとは,しかるべきバンドギャップを持った材料を適材適所で利用することで,高い性能を持った素子や装置を得ようとするものである。その大きな応用先は,後に示すとおり,発光や光吸収といった光関連機能の制御である。そこで,光に関する応用の視点から,第Ⅰ編第5章と第6章(原先生,吉川先生)においては,バンドエンジニアリングの応用に関する基礎を示している。
一方,本書の後半部分は,バンドエンジニアリングの応用についてまとめたものとなっている。特に,半導体のバンドギャップは,光の波長との関係,特に,人間の目が感じることの出来る可視光の波長を基準に語られることが多い。その意味で,バンドエンジニアリングの適用先としてもっとも典型的なものは,ディスプレーである。最近の報道によると,色覚を持っているのは,霊長類のうちでもごく一部であり,その色覚は,危険(たとえば,蛇)を察知するために発達したとの説が発表されたそうである。その人の目を通じて画像情報を伝えるためには,少なくとも,赤(R),緑(G),青(B)の色を出してくれる 3種類の材料がそろわなければならず,第Ⅱ編第2章(天野先生),第Ⅱ編第3章(中西先生),第Ⅱ編第10章(安達先生)で議論されるような発光材料開発が必須となる。また,近年のフラットパネルディスプレーでは,希少資源問題で取りざたされる透明導電体という材料が,ほぼ必ず利用されている。そのため,第Ⅱ編第5章(神谷先生)では,透明導電体技術についても紹介する。
さて,先にも述べたとおり,エネルギー問題は,人類最大の問題と位置づけられる。そこで,第Ⅱ編第12章(中田先生)で太陽光発電,また,第Ⅱ編第13章(宮内先生)では光触媒をそれぞれ取り上げ,光からの電気エネルギー,化学エネルギーを得るための技術を紹介する。エネルギー問題の解決には,エネルギーを作ることだけでなく,その消費を抑えることが重要である。そのため,バンドエンジニアリングの主たる活躍場所となるIT技術と省エネルギー技術の両者の重なりの部分に,IT機器の省エネという問題が存在している。すなわち,情報通信によって,人や物の動きを減らすことで社会・エネルギーの効率化を図るために導入されるはずの IT機器であるが,そこで消費される電力が急速に伸びてしまっている。また,天候などによってその発電量に変動が生じる再生可能エネルギーの有効活用には,IT技術を利用したスマートグリッドなどの電力マネジメントの必要性が高まってくる。そうした視点から,第Ⅱ編第4章(奥村先生)では,電力マネジメントに必要となるパワーエレクトロニクス技術について取り上げる。もちろん,IT機器自体の省力化は必須であり,第Ⅱ編第 9章(原田先生)や第11章(関口先生)において,次世代のマイクロエレクトロニクスに向けた技術開発の状況を紹介する。
これまでに述べたIT機器,あるいは,省エネルギー装置の発展には,それを実現するためのプロセス技術も不可欠である。たとえば,半導体を素子に応用するには,まず,高品質の結晶を得る技術が不可欠であり,シリコン半導体プロセスでは短波長紫外線を用いた露光技術が必須である。そうした視点から,バンドエンジニアリングに関わるプロセス技術の例として,第Ⅱ編第1章(大島先生)において窒化物半導体ウエファーの結晶成長,また,第Ⅱ編第7章(島村先生)においては,様々な波長のレーザーを利用するための光学結晶・光学素子について紹介する。
これまで述べてきたとおり,バンドエンジニアリング,といわれると,まずは,照明やディスプレー,さらには,光ファイバー通信に用いられる赤外波長を想起するところではあるが,バンドエンジニアリングの進展は,これまでになかった新たな光の応用先を拓きつつある。近年の報道に見られるように,太陽光ではなく,人工光を用いた農業も注目される技術となりつつある。そこで,第Ⅱ編第14章(後藤先生)においては,バンドエンジニアリングの新たな応用先の一つと見られる,農業への応用についても紹介することとした。また,人の目に見えないことは勿論のこと,地上に届く太陽光にすら含まれない短い波長の紫外線について,第Ⅱ編第6章(小出先生)でその応用を紹介する。
なお,本書では,バンドエンジニアリングをなるべく広い概念として捉えることが一つの狙いとなっている。そのため,一般的な半導体のバンド構造の話題に加え,フォトニックバンドや量子構造に見られるサブバンド構造についても触れることとした。そこで,フォトニックバンド構造については,第Ⅰ編第7章(迫田先生)においてその基礎を示し,第Ⅱ編第8章(古海先生)ではフォトニック構造の新たな応用先として興味深い,オールプラスチックレーザーの技術を紹介する。また,第Ⅰ編第8章(佐久間先生)において,量子構造に見られるサブバンド構造についての基礎を紹介する。
上記の通り,バンドエンジニアリング,という言葉から想起される様々な技術について,なるべく広い視点から紹介することを本書の目論見とした。しかし,当然ながら,本書の範囲ですべてを包含できるものではない。本書が,バンドエンジニアリングに興味を持ち,また,それを様々な研究開発に役立てようとする読者にとって,何かの知見を与えるものとなっていれば,編集に携わった者としてこの上ない幸せである。なお,最後に,ご多用中にもかかわらずすばらしい原稿をお寄せいただいた執筆者の先生方に謝意を表する。
2011年12月(独)物質・材料研究機構
大橋直樹